母のいない世界で暮らすこと

ほんの少し前まで、母は生きていた。

高齢といくつかの疾患のため、今年は入退院を繰り返す日々のなか、母さんは生きようと懸命だった。

「95歳まで生きるよ」と、言っていた。

それがある日の朝、兄さんから電話をもらい、駆けつけた病院では意識のない母が搬送用ベッドに横たわっていた。

母を見た瞬間

「そうか、そうなんだね母さん」

わたしはなぜかそう言った。もう、もとに戻れないところに母は行ってしまっている。

瞬間にそう思ったのだと思う。

医者から脳内出血が進んで処置する余地がないことを知らされた。

その日の夕方、母さんは息を引き取った。

85歳だった。

あれからもうすぐ4ヶ月になるけれど、わたしは毎日つぶやいてしまう。

「母さん」

と、言ってしまう。

母のいない世界で暮らすことが

これほど虚しいことと知らなかった。

自分を産んでくれた存在がこの世にないなんて信じられない。

子供の頃から母さんとは離れ離れになったり、いろいろなことがあった。

留守番ばかりで、ひとりでいることが多く、母さんがいる時間をとても楽しみにしていた。

大きくなるにつれ、相容れないことや、心が離れそうになったこともあった。

母を思う気持ちと、素直に受け入れることが出来なくなってしまった複雑な気持ちが混在していた。

だけど、母が息を引き取ったあの瞬間、やっと自分の本当の気持ちに気がつくことができた。

私は母さんが大好きで、

心から愛してたんだと。

何があっても、理解できないことがあっても、心はいつも母さんを大切に思っていたんだとわかった。

生きているときに、もっともっと素直になりたかった。

でも母さんはいつも

「いいよ、いいよ。親子じゃない、何があっても大丈夫だよ。」

と言ってくれていた。

わたしはいつもひとこと多くて、言いすぎたあとに後悔して謝っていたから。

今も仏壇の写真を見ると、母さんは「いいよ、いいよ」と言ってくれているように思う。

母さんに会いたい。

その気持ちが、ずっとあって

まだ当分、わたしはこの気持ちから抜けられそうもない。