絵を描くようになってから、今まで考えなかったことをいろいろ考えるようになったと思います。
ものの見方も変わりました。何気なく見えていた景色が変わり、自分の好みや思考も少し俯瞰して眺めるようになった気がします。
見過ごしていたものに目が留まり、立ち止まったりもします。
ひょっとして、絵を描く行為そのものは、ある種「禅」とか「瞑想」に似ているかも知れません。
没頭してひたすら描けるとき「無」であるかもしれないし、そうでないときは自分自身に静かにいろいろ問いています。
でも、ときには過去の記憶が蘇えり、もう過ぎたことを何度も噛みしめている自分の小ささが嫌になることもありますが…。
こんな風に、絵を描きつつ、絵とは無関係の気づきがちょいちょいあります。
悩んだり考え込んだりしているのとは違っていて、むしろこのような静かな時間とともに創作活動ができることに感謝しています。
絵を描き始めたころ、わたしは「もっと絵がうまくなりたい」と考えていました。そして、その先に個展や販売などができるようになるのかと思っていた。
でもそういう考えもすごく変化して、いまは「表現すること」にこだわるようになりました。
「この絵がわたしなんだ」といえる絵を描けるようになりたい。先日足を運んだ佐伯祐三展であらためてそう思いました。展示されていた絵は迫力と存在感に満ちていて、エネルギッシュでした。
絵の具の厚みや、スピード感を思わせる画筆から、生き生きとした魅力がこぼれていました。
そういう素敵な作品を見て、絵がうまく描けるようになることは、むしろ大切じゃないかもしれない。と感じるのです。
大切なことはもっと別のところ…。
絵画についてすごく詳しくなくても、力のある作品を目の前にしたら、何か感じるものがあるはずです。
その「なにか」はテクニックではないと思います。色彩や作風や好みなどあるとは思いますが、なにか感じる作品にはそういった技術とはちがうところに魅力があると思います。それは探すものではなく感じるものだとも思います。
そういうことを考えていたら、先日絵画教室の先生もおっしゃっていました。
「画家は、絵をうまく描こうとしていない。目に見えないものをどうやって表現するか考えている」と。
いい、それ、すごくいいです。
人はみな自分のフィルターを通してしか世界が見られない。けれど、そのフィルターを通して何をみているか、それをどう表現するか、気づくか。
絵を描くことは、絵を描くこと以外にいろいろ面白い。
もっともっと、いろいろなことが知りたいと思うのでした。