心を描くということ ― 絵を描く人のかたちと、私のかたち

インスタグラムでいろんな絵を眺めていると、ふと感じたことがある。

絵を描く人には、本当にいろんな「描き方」や「描きたいもの」があるんだな、と。

絵を描く人にはいろんな種類がいる

精神世界を描きたい人。

見たものを見たままにリアルに描きたい人。

見た以上にリアルに描きたい人。

風景の美しさを描きたい人。

人物を描きたい人。モノを描きたい人。

肉体、顔、怖さ、裸……。

それぞれが「何に心を動かされているか」で、表現もまったく違ってくる。

どれも「正解」で、どれも「間違い」ではない。

私は何を描きたいのか?

私は「眼で見たもの」だけを描きたいわけではない。

むしろ、それをきっかけにして、「心にあるもの」と結びつけて描きたい。

心の中にふと浮かぶ記憶や、夢のような景色。

誰にも見えないはずの感情や祈りを、そっと画面の中に忍ばせたい。

詩を書くように、絵を描きたい。

目に見える風景に、目に見えない思いを重ねるように。

憧れの画家たち ― シャガールやゴーギャン

シャガールの絵には、現実には存在しないはずの光景が描かれているのに、

なぜかとてもリアルに感じることがある。

それはきっと、彼の中にある「心の風景」だからだと思う。

ゴーギャンもまた、現実から離れた楽園を求め、精神と夢のあわいを描いた。

彼らに共通するのは、外の世界を描きながら、実は「内なる世界」を語っているということ。

私もまた、そんな表現がしたい。

おわりに ― 私の描き方

絵を描くということは、私にとって「本当の気持ちに触れる旅」だと思う。

誰かの目に触れても触れなくても、まずは自分の心に嘘のないものを描いていきたい。

詩とともに、絵を描いていく。

比喩や空想、光や気配とともに、やさしく静かに。

誰かの心にそっと灯りがともるような、

そんな絵が描けたら、それが私にとって一番のよろこびです。

最後に

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

同じように「心を描きたい」と思っている方がいたら、

ぜひインスタコメントやホームページからのメッセージでお話しできたら嬉しいです。