
— 体で感じた、深夜の気づき
※前回の詩に関連する気づきがもうひとつあったので、記録として残しておこうと思います。
今回は少し感覚的なお話です。
私は、自我という存在を初めて“体で”感じることができました。
それはとても微細な感覚で、まるで細かい泡の炭酸が体の中を走るようでした。
ピリピリとでもなく、ザワザワとでもなく、
ただ静かに、でも確かに、内側から広がっていくような感覚。
私たちの世界では、ものごとを「良い・悪い」と分けるルールがあります。
そして、自我はそのルールの中で「悪者」にされがちです。
臆病さ、怒り、不安――そういったネガティブに見える感情は
しばしば自我の仕業のように言われます。
でも、私はそのとき気づいたんです。
それらはすべて、「私を守ろう」としている動きだったのだと。
自我は、ただただ一生懸命に、私という存在を守ろうとしてくれていた。
ただ、そのやり方が、この世界のルールでは
時に「ネガティブ」とされてしまうだけで、
本質的には――
それもまた、愛のかたちのひとつなんだ、と。
そのことに気づいたとき、
自我という存在が、とても優しく思えて、
思わず「ありがとう」と伝えたくなりました。
深夜の静けさのなかで感じた、炭酸のようなやさしい泡。
それは、自我からのサインだったのかもしれません。
今日も、自分の中にあるすべての存在と、仲よく過ごせますように。